夏ともなると日が昇るのが早く沈むのも遅い。１日がずいぶん長く感じられる。
そんな時間を有効に使おうと、将は早朝から個人練習を開始した。
いつもの河川敷でいつものように練習して。その後にはサッカー部の朝練まであるのだから、本当に好きでないとここまで出来ないだろう。
そして、例によって例のごとく将は黙々と一人で練習をしていたのだが、数日前たまたま散歩で通りかかった水野によって発見され、今では周知の事実となった。
そんな訳で、将の個人練習には大抵ゲストが参加するようになってしまった。
気まぐれにシゲが付き合ったり、負けず嫌いな高井が参加したり…。
その中でも、必ずといって良い程付き合ってくれるのは、第１発見者の水野であった。
そもそも発見するくらいだから、本人も朝に強いのだろう。早朝だと言うのに、眠気のまるで感じられない爽やかな表情で顔を出す。
いつも付き合わせて悪いと、申し訳なさそうな顔で礼を言う将だったが、水野はそんな将にチラリと目線を向けて「お前だけ進歩させて溜まるかよ」とニヤッと笑って言ったのだった。
　 　 　




その日はめずらしく寝坊してしまい、将の練習に付き合えなかった。
『まぁ、別に約束している訳でもないし…』
そう思って放って置いた水野だが、朝錬で会ったら一応謝ろうと思っていた。
約束している訳ではない。だけど、ちゃんと行けなかった理由を伝えておきたかったから。
そうしないと将はきっと、自分が無理に付き合っていると思い込む。 「無理しなくて良いよ？」 って気を使うに決まっているのだ。
自分から助っ人を買って出たくらいだ。無理やりなんてあるはずがない。
それでも、将という人間は妙に恐縮してしまう人間だったから、ヘタに思い込ませるとやっかいなのだ。 　 　

ところが。
朝錬が始まってしばらくするが、将の姿が見当たらない。
いつもなら当然のように一番乗りで、既に練習着に着替えて待機しているようなヤツなのに、一体どうしたのだろう？
心配そうな顔をしていたら、その考えを読んだかのように高井がこっそり近付いた。
「水野ー、伝えるの忘れてたんだけどさ、風祭のヤツ朝錬来られないって言ってたぜ」
「……理由は？」
将からの伝言。 何で今ごろ…と心配した分だけ怒った表情を作る。
「んー、何か兄貴が熱出したとかで…。今日の朝も河川敷いなかったぜ」
「そうか。それならしょうがないな…」
兄弟二人暮らしの生活。どちらかが病気なら、必然的に世話をするのはもう一人と限られてしまう。
そんな風祭家の事情を知っていたので、攻める訳にもいかなかった。 　 　




２時限目の休み時間。
水野のクラスは授業の関係で移動しなければならなかった。
何時ものように級友と目的地への廊下を歩いていた水野は、ふと通りかかったＡ組の教室をチラリと横目で除きこんだ。
教室の中でシゲと何やら話しこんでいる将の姿を発見し、ちゃんと来たんだなーなんて当り前ながらもホッとした。
まだ授業まで時間があった為、立ち寄ろうと足を向けたその時。
「あ、水野くん。丁度良かった！」
呼ばれて振り返ると、次の授業の先生が資料を山のように抱えてニッコリと微笑んだ。
それだけで何を言われるのかがピンときた水野は、先生の言葉を聞くまでも無くその腕に抱え込まれた資料の半分に手を伸ばす。
「大丈夫ですか？」
「ええ、助かったわー。有り難う」
すっかり信頼しきっている先生の温厚な笑顔に優等生な水野スマイルを返すと、そっと顔を背けてこっそりと小さく息を吐く。
『まぁ、急用でもないしな…』
眼の端に入る将の姿に自然と柔らかく目尻を下げて「後で良いか」とＡ組を後にした。 　 　 　





移動教室から帰る途中で、今度こそと将のクラスに入った水野は、軽く周囲を見渡した後机の上に突っ伏して寝息を立てているシゲに近付いた。
「おい、シゲ」
「ぐうー…ぐうー…」
自分の腕を枕に顔を隠したままで、その奥の方からくぐもった声が聞える。
「シゲ？」
「ぐう」
寝息とは程遠い口調で、『ぐ』、『う』とはっきり発音するシゲに、水野は持っていた教科書で軽く頭をはたいた。
「寝たふりすんなよ」
「…あ、やっぱし解かった？」
当然だという表情を作る水野に、シゲがニカっと笑って見せる。
「そんなヘンな寝息立てるやつがあるか。…ところで風祭は？」
将の席をチラリと仰ぎシゲに問いかける水野だが、問われたシゲもキョトンとした表情で改めて将の机を見つめている。
「あれ？どこ行ったんやろ、ポチの奴…」
どうやらシゲも気付かないうちに姿を消してしまったらしい。
「お前知らないのか？」
「ああ、あれ？次の授業って移動やないよな〜？」
確認するように時間割を見つめて首を傾げるシゲ。そもそも将がシゲを置いてさっさと行く訳がない。
「トイレかいな？………それよりタツボン、ポチに何か用でもあるんか？」
「ああ、チョットな」
「伝えとこか？」
「いや、大した事じゃないし……」
そんな事を話している間にも将が戻ってこないかと、教室の入り口をチラチラと気にかけている。だが、授業開始のベルが鳴り教室に先生が入ってきた為、水野は自分のクラスに帰らざるを得なかった。
「あれ〜？授業始まるっちゅーに、何しとんのやろ、アイツ？？」
不思議そうに頬杖を突くシゲに、
「また後で来るよ」
と言い残して慌ててＡ組を後にした。
滑りこみで教室に戻った水野は、まだ先生が来ていなかった事に安心し自分の席につくと教科書を取り出した。 そんな水野の隣で同じように教科書を手にした有希が、ふと思い出したように声を掛けてくる。
「あ、そういえば風祭が来てたけど、会わなかった？」
「え、いつ？」
「ついさっきよ。休み時間の間に水野を尋ねて来たけど…まだ帰ってきてないって言ったら、また来るって言って出ていったわよ？」
「そっか。解かった」
とんだすれ違いだった。
自分は将に会う為にＡ組を訪れ、将は自分に会う為にＢ組に来ていたというのだ。
素直に教室に帰っていれば良かった。
そう思いながらも、別段気に留めている訳では無かったはずなのに…… 　 　 　




昼食を終えて、改めてＡ組を訪れた水野に、シゲがパックのオレンジジュースを飲みながら「よっ」と軽く手を上げた。
「…またいないのか、あいつ」
教室に入るなり、将がいない事に気付いた水野は心持ち怒ったような表情でシゲに愚痴ってしまう。
いったい今日１日で何度すれ違った事だろう。
「そうそう。すっかり忘れとったんやけどな。アイツ今日『日直』やったんやて。さっきもセンセに呼ばれて職員室に行っとったらしいよ」
パックから外したストローを口に銜えたままで上下にブンブンと揺らしながら、シゲは水野を見上げて説明する。
「日直か…それじゃ仕方ないな」
今日２度目の仕方ない理由。だが、仕方ないと解かっていてもどうにも複雑で不愉快な気分だった。
「で、今は何処に行っているんだ？」
「次の授業が移動なんや。準備があるとかで先に行く言うて出てったで？」
「さっきうちのクラスに来てたらしいが…」
「ああ、何か用事があるって言うとったけど…何や、お互い用事あって会えないんか。よっぽど縁が薄いんと違う？」
からかうように笑うシゲの笑顔をじろりと睨むと、シゲはふざけた声で「おーこわ…」と正直な感想を述べた。
「そない怒らんでもエエやんか。たかがポチに会えないくらいで…」
まーまーと片手を振っておちゃらけるシゲだが、水野にとっては笑えない。
『そりゃーお前は同じクラスだから、朝からずーっと一緒だろうけどな！？』
喉まで出かかった言葉をようやく飲みこんで、水野は肩を上下させながら大きくため息を吐くのだった。
実際、最近では毎朝のように顔を合わせていた為、こんなに長い時間将と会えないのは正直言って変な気分だった。
"会えないのが変"と言うのもおかしな話だが、ほぼ日課になってしまっているあの元気印の笑顔が見られないのだ。水野にとってはどうもしっくり来ない。
「あれ、ポチや」
「…え？」
ふと気が付いたようにシゲが廊下を指さした。反射的に振り返ると、廊下をバタバタと走ってくる将の姿が目に入る。
「何や、忘れモンかいな？」
良かったなー、やっと愛しの将ちゃんに会えるやん！ と、からかい半分慰めにも近い言葉を吐くシゲだった。普段なら「バカを言え」と言い返す所だが、そんな事はどうでも良かった。
もうすぐ授業だからと、チラホラと教室から出て行こうとする生徒を見つつ、シゲと同じように『忘れ物でもしたんだろうな…』と思い、不謹慎にも幸運だったとさえ思ってしまう。
ところが、将はバタバタと廊下を通りすぎてしまい、自分のクラスには１歩も足を踏み入れる事が無かった。そうして通り過ぎたかと思うと、今度は反対方向へ教材を抱えて走り去って行く。
授業開始直前なのだ。慌てて走る将にそんな余裕などないのだろうが、自分たちの方に目を向けることなく通り過ぎてしまう後姿に、水野はガックリと小さく肩を落とした。
「………ご愁傷様〜…」
ぼんやりと頬杖をついて間延びした口調のシゲに、水野は無表情のままその頭にゴツンと拳をぶつけるのだった。
「そや、俺もうかうかしてたら遅刻やん！」
水野の拳を素直に受け流し、思い出したよう声を上げたシゲがガタガタと教科書を持って立ち上がった。
「心配せんと、ポチにちゃーんと伝えとってやるから、安心して待っとり」
じゃ！っと投げキッスをよこして走り出すシゲの腕をはしっと掴み、水野が幾分低い声で呟いた。
「何を伝える気だ、お前？」
どうせまともに伝えるはずがない。 例えちゃんと伝えてくれたとしても、まともな表現を使うとは到底思えなかった為、水野は念の為にと確認する。
「何って、"タツボンが会いたがっとった"って伝えればエエんやろ？」
それはそうだが…。
確かにシゲの言うとおり、会いたいのは本当で間違ってなどいないのだが、会ってどうするのかと聞かれたら、特別緊急の用事がある訳でもない。
朝の件だったら将だって今日は来なかったわけだし、一言伝えるとしても放課後で充分なのだ。
「やっぱり良いよ」
「何でやねん？」
「別に。放課後で良いからさ…」
少しだけ口の端を上げて笑って見せると、水野はシゲの前を通り過ぎて自分のクラスへと足を向けた。
改めて考えてみたら、何も急いで会う必要はないのだ。
放課後になれば確実に会える訳だし、今までだってクラスが違うのだから、大体将と顔を合わせるのは"放課後"というのが当り前なのだ。
それに、どうせあと２時間で授業も終わる。それからでも全然問題は無い。
自分に言い聞かせて納得する水野だが、それでもイマイチ気分が浮上してくれない。 ただ、今日１日で何度もすれ違っている事実だけが、どうしょうもなく悔しく感じられたのは確かだった。 　




結局５時限目の終了後は、何時も通り教室で過ごす事にした。
将のクラスに行ったとしても、まだ移動教室から帰ってきていないだろうし、どうせまたすれ違うに決まってる。
２度ある事は３度ある。そうして３度ある事は４度だって有り得るのだ。
それなら無駄な労力。精神面での落胆を感じるだけ負担も大きいと思われた。
しかし… と、水野は思う。
将だって一度は自分を尋ねてきたくせに、あれからパッタリ来ないなんて、結局大した用事では無かったという事なのだろうか。
将も自分と同じように、どうせ放課後会えるのだからと考えているのだとしたら、自分ひとりだけムキになっていたような感じがして、何となくムッとしてしまう。
有希には『また来る』とか言っておきながら、結局は来ない。
所詮自分が思っている程将は自分を思ってないという事なのだろうか？
会いたいなぁ…って自然と思ってしまうのは自分だけなのかもしれない。
と、ココまで考えてはっと我に返ると、だんだん恥かしくなった。
『何考えてるんだ、俺…』
恋愛中のカップルじゃあるまいし。"会いたい"なんて思う方が変なのだろう。 水野自身おかしい事など百も承知なのだが、それでも正直に"会いたい"と思うのだから仕方が無い。
出会ってからずいぶん経つけれど、何時の間にか将の存在は水野にとって無くてはならない存在になっていた。 それだけ"大切な友達"なのだから、"会いたい"と思ってもおかしくは無いのかもしれない。
一緒にいて楽しいから。
趣味が合うから。
同じスポーツで解かり合えるから。
側にいたら安心できるから。
団体で行動していても、自然と隣に立っていた。
振り向けばいつも、自分の隣には小さな頭が見え隠れする。
それがもう当り前のようになっていて、無意識のように自分も側にいるようになった。
コロコロ笑う笑顔が好きで、いつでも笑っていて欲しいと思う。
努力する姿がまぶしくて、そんな姿に引き寄せられる自分も何時しか前向きな気持ちになっていった。
気が付けば自然と視線が将に向くようになっている。
強い人間だと思う時もあれば儚げな姿も垣間見れて、放って置けない気分になる。
出会ってから、ずっと将を見てきたのだ。将の気分や感情は手に取るように解かる。 『大切な友達』と思っているからこそ、その様子が気にかかる。
おそらく将本人も気付いていない些細な心の変動さえも、敏感に感じ取っている。
それ故に、シゲには『小姑』などとからかわれたりするのだが、それも悪い気はしない。
もしも今『一番大切な友達は？』って聞かれたら自分は迷わず将の名前を挙げるだろう。だが、将にとって自分はそれだけ大きな存在になり得るのだろうか…？
これが一方通行な感情だとしたら、何となく悲しいではないか。
将にとって一番大切な友人が自分では無く他の人間だとしたら、明らかに一方通行な訳で、これは恋愛に例えると"片想い"になる。
恋愛ではないけれど、自分の今の気持ちを考えると、何となく似たような感じがして、何故だか妙な気分になってしまった。
そんなバカな事を考えている間に休み時間も終わり、最後の授業が始まってしまった。 そうして、結局将は来なかったのだった。 　 　





「友達」と「恋人」はモチロン違う。
だが、「親友」とか「恋人」と言うのは、そう表現するに値する人間でないとお互いに呼び合うことは出来ない。
水野にとって風祭将という人間は単なる「友達」ではない。自分では「親友」と思っている。だから当然将にもそう思ってもらわなくてはならない。
だけど、「親友」なんて改めて『そうだよな？』って確認するものでもない。
まだ「恋人」の方が確認が取れる分、きちんと確立した存在なのだ。
「親友」の定義に悩む水野は、めずらしくぼんやりと授業を聞いていて、自分が当てられた事に気付いていなかった。
「水野……水野ってば！」
隣から小声で呼びかける有希の声も気付かずにぼんやりと頬杖をついていた。
「水野くん！？」
黒板をコンコンと叩きながら、夕子先生が不思議そうに首を傾げて振り返る。
黒板に書かれた筆記体の英文に、チラリとも目を向けない水野を見て、さすがの夕子先生も驚いてキョトンと水野を見つめてしまっていた。


「………罰として、これを回収して持ってきて頂戴」
配られたプリントを回収した上で職員室に届けるよう命じられた水野は、照れながらも頷くしかできず、そんな水野にクスクスと笑った夕子先生も『疲れてるのね』の一言で終わらせてくれた。
これがシゲや将なら常習犯の為こうは行かない。お小言を貰った上に罰掃除までさせられるのが何時ものパターンだった。 しかし、普段が真面目な水野なら何か理由があるのだろうと、簡単な注意だけで終わらせてくれたのだった。
だが、待ちに待った放課後だと言うのに、水野は未だ教室から出られずにいた。
夕子先生の出した問題は予想以上に難しかったらしく、放課後になってもまだ解けずに唸る輩がいて、水野はイライラと教室で待つ事を余儀なくされてしまった。
グラウンドでは既に部活が開始され、あちこちの運動部が掛け声を上げている。
隣のクラスはとっくにＨＲを終了させて、意気込んで校庭に飛び出して行く賑やかな声が聞えてくる。
自分だって早く部活に行きたいというのに…
拗ねたような表情で窓辺に頬杖を付くと、水野は数名の居残り組みを前にとっくに終わったプリントの山を見つめながら小さく舌を鳴らした。





ようやく全員がプリントを提出し終える。
回収に手間取った水野は心持ち早足で職員室への廊下を歩いた。
自分の所属するサッカー部も、既に練習が開始され、数名の生徒がグラウンドでボールを蹴っている。
遅れる理由は有希から伝わっている為、特別急ぐ必要は無かったのだけど、それでも早足にならずにはいられなかった。
帰り支度をとっくにすませ、鞄を手にして職員室の扉を開けると中には数名の先生が机の前で作業している。サッカー部の顧問である夕子先生の姿は当然無かった。
集めたプリントを目的の机の上に置いて一息付くと、水野は鞄を抱えなおして来た時と同様に足早に職員室を出ようとする。
これでようやくグラウンドに行ける。
そうして将に会えるのだ。
それだけの事なのに、妙に心が弾んでしまい、そんな自分がおかしくもあり恥かしくもあった。
特別な日でもなく、何って事のない普通の１日。 だけど、今日の１日の長さは普段の倍以上に感じられた。 　 　




「水野くん？」
職員室から出ようとしたその時、突然後ろから呼ばれポンと肩を叩かれた。 聞き覚えのあるその声に目を見開いた水野は驚いたように振り返る。
「……風祭！？」
振り返えった水野の表情に、今度は将が驚いた。
「ど、どうしたの？そんな顔して……」
びっくりした目をぱっちり開いたまま、将が驚いた表情のまま水野を見上げている。
「あ、い、いや、どうもしないが」
予想していなかった将との出会いに、ビックリした顔を隠せなかった水野は、一瞬の後、ようやく何時もの表情に切りかえる。
「お前、何でココにいるんだ？…練習は？」
「今日は日直の上に掃除当番も重なっちゃってさ…やっと日誌を書き終わったんで提出しに来たんだ。水野君こそ練習は？」
「ああ、俺もちょっと用事があって。今から行こうと思ってたところだ」
「僕も今からなんだ。一緒に行こうよ」
にっこりと微笑んで手にした鞄を肩にかける将が、何時ものように明るい笑顔で話しかける。
およそ２４時間ぶりの将の笑顔だ。
「……やっと会えた」
「え、何？」
ボソリと呟いた水野の言葉に、将がキョトンと見上げてくる。あまりにも小さい声だった為よく聞き取れなかったのだ。
ずっとずっと会いたくて、中々会えなくて。
仕方ないって何度も思ったけど、それでも多少腹が立つ。
少しだけ釣り上がった眉を崩そうともせず、また将の顔を見ようとしない水野に、将が不思議そうに覗きこんだ。
「……何か怒ってるの？」
心配げな表情でオロオロと聞いてくる将に、水野はようやくチラリと視線を向けた。
「…俺さぁ、今日何度もお前とすれ違ってんだよな」
わざとむくれたような顔を作って、ぶっきらぼうな言葉を投げかけた。そうと気付かない将は、当然のごとく水野の不機嫌な理由を知らない。
知らない将に怒っても、やっぱり仕方が無いのだが。自分だって何度もムッとした１日だったのだ。少々困らせてみてもバチは当たらない。
ところが、
「え、水野くんも？」
思いがけない将の言葉に、今度は水野が振り返る。
「「も」って事は、お前も？」
コックリと大きく頷いた将は、大げさにため息を突いて見せて、今日１日の出来事を話し始めた。 　

朝の練習。 これは水野が知っての通り、家の事情で行けなかった。
当然水野にも会えなかった。
それでもひょっとして水野が来ているかもしれないと思い、少しの時間をつくって河川敷を覗きに行ったのだ。 だがそこに水野の姿はなく、諦めて帰る途中で高井に会った。伝言を残したものの、やっぱり気になっていたのだ。
「…ひょっとして、僕がいなかったから帰っちゃったのかなーって思って…」
もしそうだったら、ゴメンね……と、両手を合わせて謝る仕草を見せた。
「いや、俺も今日は寝坊しちまって、結局行かなかったんだ」
「そうなんだ。良かったー」
ホッとした表情で、安心したように笑う将。 そうして、学校に着いてからも気になって水野のクラスを覗きに行ったのだが、いつ行っても水野の姿が無かったと、少し口を尖らせた。
それでなくても今日は移動が多かった。授業はモチロン、日直という用事まで加わって、休み時間が休みにならなかった位だ。
そんな時間を有効に活用し、廊下を歩く度にＢ組の前を通るように意識していたが、それでもなかなか水野には会えなかった。
「１０回以上は覗いたんだよ」
と、照れもせず笑う将に、水野の頬が少しだけ赤くなった。
『なんだよ、それ…』
要するにタイミングが悪かったのだ。
自分が将に会いに行っている間、ずっと将も自分に会いに来ていたという事だ。 お互いに"会いたい"と思いながらも、その空間がずれていたらしい。
シゲの言うように、本当に『縁』が無かったのだとしても、ここまで同時にすれ違いをすると言うことは、返って『縁』がありすぎるのかもしれない。
"会いたい"と思う気持ちが将も一緒だったという事に、単純ながらも喜んだ。
それよりも、自分よりも将の方が多く会いに来てくれていたのだという事実が、何となく嬉しくて擽ったくて、そう考えると可笑しくて、水野は思わず声を立てて笑ってしまった。
「…水野君？」
突然笑い出した水野に、将が目をパチクリと見開いた。 そもそも声を出して笑うような人では無かったのだから、驚いたとしても無理の無い事だ。
「何が可笑しいの？」
自分が何か変なことを言ったのだろうか…？
そう心配して問いかけてくる将に、水野がようやく落ちついた微笑を返す。
「何だか俺達って凄くねぇ？」
「何が？」
「だってさ、これだけすれ違うなんてめったに無いぜ？」
「そう言われてみればそうかもね。シゲさんが"縁薄い"って笑ってたよ」
「縁が薄いんじゃなくて、逆に言ったら"以心伝心"が強いんだよ。お互いに会いたいって思ってたから何度もすれ違ってしまった訳だろ」
「うん、うん」
将も確認するように頷いて返事した。
「で、お前はどうして俺に会いたかった訳？」
「え、ああ…朝の事を一応謝っておこうと思って。……水野君は？」
「俺も一緒。今日は行けなくてゴメンな。明日はちゃんと行くからさ」
「え、でも無理はしないで……」
良いんだよって言いかけた将の言葉を遮って、水野の強い口調が返る。
「無理なんかしてねぇよ。俺がやりたいからやってんの！」
「…そっか。良かった」
にこっと安心したような笑顔を見せて、将が嬉しそうに呟いた。 案の上気を使いまくる将に、水野が追い討ちをかけて言葉を続ける。
「それにさ、一番にお前に会えるしな」
チラリと視線を向けると、将が薄っすらと頬を染めた。丸い瞳を上目遣いに水野に向けて、一瞬だけ目を合わせると、恥かしそうにふいっと視線を反らしてしまう。
「何だよ…？」
そんな将の反応に、その顔を覗きこんでで問い正すと、将が未だ赤い顔のままで小さくポツリと呟いた。
「本当に僕達ってスゴイなーって思ったんだ。だって考えてる事一緒なんだもん」
はにかむように、それでいて嬉しそうに笑う将が微笑ましくて、水野はゆっくりと目を細めて笑った。
そんな将の一言で、今日１日のモヤモヤがすっかり吹き飛んでしまっていた。
単純だな…と思いつつも、思わず笑みが零れてしまう。
そんな水野の笑顔に、将もふんわりと微笑んだ。
「少しさ、遠回りして行かねぇ？」
「え、何で？」
「ゆっくり歩こうって事だよ。せっかく久しぶりに会えたんだし…」
そう言って笑うと、将が言葉の意味を理解して笑う。
「そうだね、久しぶりだもんね！」
そんなやり取りに、お互い顔を合わせて微笑んだ。
同じ想いで過ごしていたすれ違いの時間を埋めるように……
二人はグラウンドへの道をいつもよりもゆっくりと歩くのだった。